泡盛

八重山最古の酒蔵

玉那覇酒造所は、八重山最古の酒造所である。沖縄本島などではほとんどみられなくなった地釜を用いた「直釜式蒸留」にこだわり、今もその伝統ある暖簾と味を守りつづけている。

初代は、明治末期に首里の酒造所から分家して八重山に玉那覇酒造所を創業。創業90余年の歴史を紡ぎ続けている。
 「あがり(登野城)の玉那覇、いり(石垣)の玉那覇」といわれ、本家、分家とも大きなレンガの煙突がそびえ、隆盛を極めていた。しかし、戦時にその煙突が目標にされて、爆撃を受けてすべてを焼失してしまった。

また、二代目が不慮の事故により急逝。その後は二代目の未亡人が女手ひとつで6人の子供を育てながら
玉那覇酒造所の暖簾を守り抜いた。そして1976年、三代目となる玉那覇有紹氏が後を継ぎ、今に至る。
小さな酒蔵を守り継ぐ家族の絆は今も変わらず、現在は四代目の息子と共に泡盛を造り続けている。

泡盛黒麹菌

温暖な沖縄での酒造りに最も適したこの黒麹菌は、生でんぷんの分解力に優れ、香りがよいことなどが知られ、クエン酸をよく生成し、もろみ段階での雑菌の繁殖を防ぐ効果をもっている。麹菌はでんぷんを糖化し、たんぱく質その他を分解する性質を持つ。

この黒麹菌は沖縄以外の地域ではみられず、沖縄の環境に育まれた大切な宝の菌である。片手に1杯の種麹を小さな米の山にふりかけて、まるで祈るような手つきで蒸米に麹を混ぜてゆく。

手造り酒

麹床で寝かされた麹は、黒麹がみっしりと生える。
「これがうちの泡盛の特徴です。他の酒屋は、さほど麹を生やさないから味がマイルド。うちのはしっかりとした黒麹らしい味わいがあります」。
祖父、父、母の代と製法がほとんど同じという玉那覇酒屋。かたくなと言えるほどに手造り酒にこだわり、味わいも泡盛の風味を変えようとしない一途さから、ほんとうの泡盛党に好まれる由縁があるのだろう。

本場泡盛

泡盛はオール麹というのが特徴。300キロの米なら300キロを全部麹にして、1次仕込みするのである。他県の焼酎のように2次仕込み(添え)をしない。そして蒸留が1回だけ行われる単式蒸留である。精製度は低いが風味成分が回収される。 蒸留釜から最初に出てくる初留は70度近くもあり、強度の花酒である。酒を蒸留して造ることを八重山では”サキタリ”(酒垂れ)という。酒造りは麹、仕込み、蒸留など、きちっとした技術が伴って初めてできることだ。

機材から道具、酒造りまで手作りの玉那覇酒造所は、ふたりで飲むふたり酒ではなく、夫婦ふたりで作るふたり酒の時代を経て現在は、四代目後継者の息子を含むスタッフ四人で、その暖簾を守っている。

いつの時代も、「酒の味の一番の決め手は、作り手の心。」
と、三代目は語る。

古酒

三年以上貯蔵した泡盛は古酒(クース)と呼ばれる。
クースの魅力は何と言っても芳醇でまろやかな味わいにある。三年古酒、五年古酒、十年古酒・・・とあるが、貯蔵年数が長ければ長いほど、泡盛はまろやかさや味わいが増し味わい深い酒となる。

 かつては琉球王朝時代に200年物や300年物が存在したとされるが、沖縄戦により全て失われ、今では首里の識名酒造に貯蔵された140年物の古酒が現存するのみである。